経済人コー円卓会議(CRT)は、1986年に貿易摩擦問題の解消を目指してその歩みを始めました。スイス・コーの地に集まった日米欧の経済人達は当初非難の応酬を繰り広げましたが、程なくして自らが生き残るためには互いを尊重し、共に歩んでいく姿勢を持つことが必要であると悟り、そのために互いが守るべき規範を作ることとしました。
こうして1994年、日米欧3極の経営者たちが手を携えて策定した初めての行動規範とされる「CRT:企業の行動指針」が生まれました。
その後CRTは、行動指針の精神を踏まえた企業経営の実践を目指して自己診断ツール「CSRイノベーション」を開発し、企業の経営幹部や中堅層の意識確認やCSR経営実践に当たっての問題点抽出といった面への応用をはかってきました。
また、2011年以降は、国連が定めた「ビジネスと人権に関する指導原則」の企業における実践を支援するために、人権デューデリジェンスの包括的な取り組みフレームワークとして「サスティナブル・ナビゲーション」を提供し、企業の進捗度合いをシンプルに“可視化”することができるようにしました。さらに、「ビジネスと人権に関する指導原則」の浸透を一企業単体で進めていくことは困難であると考えたCRTは、企業群とステークホルダーを巻き込んだ取り組みのプラットフォームとして、エンゲージメントプログラムを構築してきました。
今日、企業がその一員として社会からの要請や期待に応えて持続的な成長を果たしていくためには何が必要なのか、CRTは常にそれを考え、企業や社会に対して提言をし、その実行の支援を続けています。
1986年 第1回経済人コー円卓会議
phase01通商問題に端を発した「気づき」の時代(1986年~1991年)
1985年5月、オランダの新聞にある記事が掲載されました。
「日本のまやかしの微笑」と題されたその記事は、フィリップス社の内部調査レポートをもとに「保護主義、ダンピング、盗み、脅迫、これらは全て欧州と米国のエレクトロニクス産業を破壊することを狙っている、日本の戦略に含まれている」と述べ、当時深刻な状況となっていた日本と欧米諸国との貿易摩擦問題に関し、日本を厳しく非難する内容となっていました。
この記事を読んだフィリップス社元会長のフレデリック・フィリップス氏は、「『日本の友人』としてこの記事を是非とも伝えたかった。外から見た日本のイメージを日本人は知る必要がある。イメージは時に事実より重要であり、実際、過去の戦争の多くは事実によってではなくイメージから勃発している」としてこの記事を英訳して日本へ送り、同時にオリビエ・ジスカールデスタン氏(元ヨーロッパ大学院副理事長)とともに、日米欧の財界人の間で率直な意見交換の場を持つことが必要だとして、会議の開催を提案しました。
こうして開催された第1回のグローバルダイアログでしたが、当初は欧米側出席者によるジャパン・バッシングの嵐が吹き荒れ、会議は険悪な雰囲気となってしまいました。 しかし、第二次大戦後の独仏間の和解のきっかけを作り、また日本の国際社会復帰のきっかけの一つを作ったといわれるスイス・コーの地に流れる「コーの精神」、つまり「相手の立場を考えて共通項を求めよう」という雰囲気が生まれ、「相手方に何をすべきかを指図するのではなく、まず自国の至らない点を改める」という表現の下、日米欧三者がなすべきことは何かを明記した共同提案が出されました。
CRTは、こうして通商問題を主なテーマとした日米欧三者の対話の場として、その歩みを始めたのです。
1985年5月 オランダの新聞に掲載された記事
phase02行動指針の作成と普及を通じた「理解」の時代(1992年~2000年)
日米欧の貿易摩擦問題解消を目的として歩みを始めたCRTでしたが、時代は1991年に発生したソビエト連邦の崩壊に伴う、資本主義対社会主義の対立という構図の崩壊や、いわゆるグローバル化の急速な進展といった転換期へと進んでいきました。また、アジア地域の経済発展に伴って、これまで日米欧三者の対話の場として機能していたCRTですが、インドや中国、台湾などでも会議を開催し、意見交換を進めました。こうした時代背景に合わせるかのように、CRTでの議論も単なる三極間における「対話の場」から、各地域間の「競争と協調」をいかに図るかということへと変わっていきました。
こうした時代の変化を受け、1994年、CRTは「CRT:企業の行動指針」を策定し、世界に向けて発表しました。
「CRT:企業の行動指針」には、日米欧三極からそれぞれその支柱となるべき理念が盛り込まれました。
CRT:企業の行動指針 3つの理念 |
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・共生 ・人間の尊厳 ・ステークホルダー原則 |
この行動指針は7つの原則と7つのステークホルダーからなり、各原則・ステークホルダーごとに企業が果たしていくべき責任について述べられています。また、この行動指針は文化や習慣、宗教が異なる日米欧の経済人達がともに作り上げた行動規範としては世界で初のものといわれており、以後作られる同種の規範類に大きな影響を与えることとなりました。日本においても、折しも改訂作業が進められていた経団連の企業行動憲章(1986年改訂版発表)に、その考え方が多く盛り込まれたといわれています。
phase03具体的ツール類を用いた「浸透」の時代(2001年~2010年)
この時期、CRTを巡る時代の流れは確実に変化していました。
日本のバブル崩壊とその後の長期にわたる不況の影響を受け、通商摩擦問題が日米欧三極間での大きなテーマではなくなりました。一方で、たて続けに発生した企業不祥事事件を契機として、日本では企業の行動に対する社会からの視線が強まるとともに、1997年には当時の環境庁(現:環境省)が環境報告書ガイドラインを発表するなど、地球環境の保護に対する企業の取り組みについても徐々に関心を集めるようになっていました。
こうした時代の流れの中で、CRTでは1994年に発表した「CRT:企業の行動指針」をより具体的なかたちで企業に活用できるような手段の検討を開始しました。
そして2002年、具体的なツールとして「企業の社会的責任に基づく企業改革システム」が米国のチームによって完成しました。さらに、法制度や文化面での再構成をふまえた日本語版「CSRイノベーション」が2003年に完成しました。
その後「CSRイノベーション」は、日産自動車をはじめとする多くの日本企業で実施されるとともに、英語版はもちろんのことスペイン語・ドイツ語・ロシア語版等がそれぞれ作成され、世界各国で活用されています。
コラム-「コー」とは?
コー(Caux)とは、スイス西部、レマン湖のほとりにあるジャズフェスティバルでも有名なモントルーから登山電車で1時間ほど登った、山の中腹にある小さな村です。
Cauxマウンテンハウス
そこに建つ「コー・マウンテンハウス」は、民族・宗教・国籍等のあらゆる違いを超え、世界約80カ国で和解と融和をもたらすための活動を行っているNGO団体であるIC(Initiatives of Change)の国際会議場として、これまでにさまざまな紛争解決のきっかけを作ってきました。もっとも著名なものとしては、第二次大戦後いがみ合っていた独仏間の和解を醸成したことが挙げられます。
ICでは毎年夏にこのコーの地で国際会議を開催しており、その静かで平和的な雰囲気が、貿易摩擦問題の最前線となるこの会議にはふさわしいと考えたフィリップス氏の協力依頼をICが受け入れ、第1回の会議がコーの地で開催されました。
その後、この会議体は「経済人コー円卓会議(Caux Round Table)」と名付けられ、組織化するとともに、今日に至るICとCRTとの関係が築かれていくこととなります。
phase04プラットフォームを活用し日本から発信する「影響」の時代(2011年~2019年)
2011年に国連総会で策定された「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づき、日本企業が具体的に経営と一体化した形での浸透普及に努められるような「フレームワーク(人権方針や人権デューデリジェンスなど)」を開発すると同時に、1社だけでなくマルチステークホルダーが参画できる「プラットフォーム」の基盤整備を行いました。また、日本企業のサプライチェーンマネジメント体制を強化するために、アジア諸国(タイ、マレーシアとインドネシア)とも連携し、ステークホルダーダイアログを展開してきました。
こうした背景には、2011年以降も多くの日本企業において「ビジネスと人権に関する指導原則」に真剣に取り込む気運が育まれず、アジア諸国の企業と比しても遅れをとりはじめ、世界からの評価が低下していったことがありました。こうしたガラパゴス状態を脱却するために、CRTは世界のイニシアティブ団体と相次いでパートナーシップを締結し、日本企業の活動を日本から世界に向けて発信できるような仕組みを構築してきました。
特に毎年開催しています「ステークホルダーエンゲージメントプログラム」(2012年〜)、「ビジネスと人権に関する国際会議 in 東京」(2013年〜)では、この分野の世界の第一人者にも参加していただくなど、世界と日本との橋渡し的な役割を担ってきました。
さらに、サプライチェーンマネジメントの「プラットフォーム」の体制構築においては、ITテクノロジーを駆使したSEDEXやブルーナンバーとのパートナーシップを締結し、企業がより効率的・効果的な手法で人権課題に対処できるようにするためのスキームの基盤整備に力を注いできました。
また、「ビジネスと人権に関する指導原則」を、企業経営層の意思決定プロセスにより大きく影響を及ぼすことができるようにするために、ESG投資に関連付けた取り組み強化にも注力しました。
phase05スケーラビリティの強化を目指すインクルーシブな時代(2020年~)
欧州の各国政府を中心として、「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、指導原則)について企業の取り組みが進んでいないことを危惧した規制強化の動きが加速化してくる中、CRT日本委員会は、企業が取り組みやすい環境整備をするために、テクノロジーを駆使してライツホルダーとの直接対話をする仕組みを実現可能にした「NINJA」や、サプライチェーンを可視化することにより高次元レベルでのマネジメント体制の構築促進を促す「グローバルサプライチェーン情報集約システム」を開発し、実装化してきました。
2022年には、EUや日本政府が規制強化に向けた動きを鮮明にしたことを受け、日本企業においてもようやく指導原則に関する取り組みが本格化し、多くの企業からCRT日本委員会に支援依頼が来るようになりました。こうした企業からのオファーに応えるべく、CRT日本委員会では、いくつかの信頼できるコンサルティング会社とパートナーシップを締結し、個々の企業ニーズに即した支援ができるように体制を強化しています。
各企業においては、指導原則がサステナビリティ部署での取り組みからESG関連部署を巻き込んだ形での取り組みへとシフトしはじめ、経営会議体の中に組み込まれてきており、バリューチェーンを考慮した形での本業を通じた活動へと変わりつつあります。
CRT日本委員会では、各企業に対して指導原則を浸透普及していくために、小さな成功事例を積み上げていきながら少しずつ活動領域を広げていく手法を用いて、その企業がライツホルダーとの直接対話をすることによって人権課題を特定、その地域で生活している地域住民の環境負荷を軽減する必要があるかどうかの有無確認をし、人権と環境デューデリジェンスを進めてきています。さらに、これらライツホルダーとの直接対話を通じて現場での信頼基盤を確立しながら、苦情処理メカニズムへと発展させています。
日本における活動の軌跡
日本においては、1986年以来社団法人国際IC日本協会内に事務局を置いて活動してきましたが、より積極的な活動をすべく2000年4月に「経済人コー円卓会議日本委員会; CRT日本委員会」として組織化し、2006年にNPO法人となりました。
CRT日本委員会の主な活動としては、「CRT:企業の行動指針」を基本としたCSRおよび企業倫理の浸透普及を目指した研究、教育・研修、企業診断、講演・出版、助言・提言といった活動、毎年開催される国際会議であるグローバルダイアログへの参加、CRTの国際的活動の日本における広報・連絡、企業倫理・CSRに関する経団連を初めとした他の団体との連携、そして社会的責任投資(SRI)への理解の促進などがあげられます。
特に近年では、グローバルなCSRイニシアティブ団体とのネットワークを通じて、日本企業に対してグローバルなCSR活動の方向性を伝えると共に、日本企業の発信力強化を目指した取り組みを進めています。
また、最近では企業だけではなく個人も社会的な責任を担っているということから、主に企業で働く人々や学生に対して人間力向上を目的としたリベラルアーツ研修にも力を注いでおり、明日の日本や国際社会をリードする人材の育成を目指しています。
CRT日本委員会の主な活動についてはこちらから